こんにちは、Akiです。
今回は、前回お話した”10歳までの脳のメカニズムを指標”と決めた私が、どうやってバイリンガル育児に取り組んで、成功させたのか、数々のおどろきと失敗も経験しながら、そのつど軌道修正した10年間をまとめてみました。
この記事はこんな方におすすめです。
・バイリンガル教育に興味のある方
・子供をバイリンガルに育てたいと考えている方
・バイリンガル育児にいきづまっている方
- オーストラリアの公立幼稚園から高校で教師のアシスタント経験をもつ
- オーストラリアで現役公立幼稚園、小学校の教師のアシスタント
- 英語、日本語、中国語のトリリンガル育児で娘を育てる
特技:リサーチ力、計画を立てること、子どもに好かれる
いろいろな国の文化や、ことばのバッググラウンドをもつ生徒たちや、教師たちとのなかで、日々”ことば”がもつパワーを感じて生活しています。
生まれてから1歳まで
娘がオーストラリアで生まれるまえから、マレーシア生まれの夫と私は、娘が将来、英語、日本語、そしてできれば中国語を話せるようになってほしい、、と、バイリンガル育児への思いは同じでした。
私は娘が生まれるまえから、おなかにいた娘に日本語で話しかけていたほどでした。
でも、夫は娘に英語で話しかけていたんですよね
中国語で娘にはなしかけなかった夫のわけ
”中国語で話しかけてあげたらいいのに。”
と、私が夫に言うと、
”まだ早い。”
と、いう夫。
中国語育児が始まるのはもう少しあとになります。
私のこの時期の悩みと解決法 ①
じつは私にも心配に思うことがありました。
1日のほとんどの時間を私と娘が日本語で過ごして、ふれる言語にかたよりが出ないかどうか?
夫は平日まいにち仕事がありますし、夫と娘が一緒に過ごせる時間は短いので、心配になりました。
解決するために起こした行動は。。
現地の人たちが集まる場所に参加して、友達を見つけました。
生後1か月後くらいに、自分の住む地域でおこなわれた、同じ月齢の赤ちゃんが集まる”Mothers group” (お母さんグループ) に参加しました。
そこで仲良くなった友達と、その後Mainly musicというリトミックの会に参加。楽しくダンスをして歌を歌って、遊んで、、とその会にいるときは、娘もネイティブ英語の環境にいました。
ほかのお母さんたちとの交流で私もいやされました
1歳から2歳半ころまで
1歳半ころから週に1日だけChildcare(保育園)に通わせることになりました。
でも、週1、、というのは慣らすのには適していなかったみたいです。
毎回、毎回、泣かれてむねが痛かったです
私のこの時期の悩みと解決法 ②
ある日の朝、娘を保育園まで車で送っていた時のこと、後ろ座席のチャイルドシートに座っていた娘が、外をながめて”Car”と発した発音のいいことに、私が一瞬かたまったのを覚えています。
もしかして、英語が強くなってきた?!
保育園も1週間に2日行くようになっていました。
このじきに、いちばん有効だったと思う対処法は。。
としの近い日本人のお友達と、まいしゅう公園などであそばせた
その他に、
- 車の中で日本の童謡を聞かせた
- 日本語絵本のよみきかせ
- 日本人の保育士さんに、日本語でせっしてもらった など
2歳半から3歳半ころまで
娘が2歳半すぎころから、私は週2,3日勤務の仕事にもどりました。
このころには娘もだいぶ保育園になれていて、いつも楽しそうにしていました。
中国語教育のはじまり
娘が3歳をすぎたころ、やっと中国語をどうにかしようと、夫がうごきました。
ネットや口コミで、中国語の補習校をさがしました。夫が娘を体験入学につれていき、そのまま入学をきめました。
娘はその時、3歳4か月。幼稚部にはいりました。
朝から始まり、休み時間をはさんで、お昼までの半日。
中国の童謡を歌って踊ったり、読み書き練習がありました。
その幼稚部は、親も授業中、教室に滞在できるかたちでした。
私のこの時期の悩みと解決法 ③
2歳2か月ころから単語と単語をつなげて、徐々におはなしができるようになって、2歳半ではずいぶんと文にして話ができるようになりました。が、、、。
私が日本語で話しかけても、英語で返事が返ってくる。しまいには私が英語で娘に話しかけるしまつ
私までつられて英語になってる?!
私も仕事に復帰し、娘が保育園に滞在する時間も長くなり、英語にかかわる時間が1日のほとんどを占めていました。
このじきに、いちばん有効だったと思う対処法は。。
日本に帰省。私の母が娘にいった言葉
これは、私が母にお願いしたわけでもなかったのですが、
日本の実家に到着したあと、娘が私の母に、英語でペラペラと話しだしたのです。。
そうすると、私の母、しっかりと娘の目をみて、はっきりとそしてゆっくりと娘にいいました。
”おばあちゃんはね、英語がわからないんだよ。日本語ではなしてくれないと、なにを言っているのかわからないんだよ。”
その時の娘のかお。一瞬かたまって、幼いながらにショックを受けたようでした。
でも、それ以降、娘は私の母に英語を間違っても話したことがなかったです。
きっとあの瞬間に、はなす相手によって言語を変えなくちゃいけない。。ということを感じたのかもしれません。
3歳半過ぎから6歳過ぎころまで
ここから私たち家族は生活環境が大きく変化します
夫がとつぜん中国にあるオーストラリアの会社で働くことに決まりました。
娘に”中国語を学ばせるなら、中国に住むきかいがあるといいのにな”。。。と、主人とはなしていたことはありました。 でも、まさかそれが現実になるなんて。しかも、出発は数週間後?!ありえない。。。
娘はオーストラリアの幼稚園に通いはじめていましたし、中国に住むにはビザの準備もありました。。
短期の仕事内容で3か月間とのこと、海外旅行の延長線。。。と考えて、私も娘を連れて中国に向かいました。
英語忘れた?!
せっかく中国に来たのだから、、と、最初の1か月ほどは英語を話せる中国人の女性が、週2回、娘と遊びながら中国語にふれる形をつくりました。ネットで知った中国の日本語補習校にも入学することになりました。
娘に中国語を教えてくれた女性の紹介で、現地の個人経営保育園をたずねました。娘はその保育園に、約1か月かようことになりました。
1か月、通い終わるころには、娘がひとりで遊んでいるときに、ききとれない言葉がきこえてきました。
中国語でひとりごと??
ビザの関係で、その後、日本に3週間滞在して、日本の一時保育にかよい、オーストラリアにもどりました。
オーストラリアに着いたときには、まだスクールホリデー期間で、赤ちゃんの時から仲良しの現地の友達とすぐに会うことになりました。娘と友達はお互いに満面の笑みでハグをして、感動の再会。。。
、、のはずでした。
娘がすこし困った顔で私のところに戻ってきました。
”お母さん、『一緒に遊ぼう』、、ってどうやって言うんだっけ?” と、いつものように日本語で私にきいてきました。
私はその意味がわかるまでしばし時間がかかりました。
まさか英語が話せなくなっていたとは、このときまで考えていなかったです。
娘はこのとき、4歳4か月。オーストラリアを離れて、5か月後の出来事でした。
5か月前までは、私が日本語で話しかけても、英語で返してきていた娘。
オーストラリア人の友達のお父さんにも、娘の英会話力は同じ月齢の子よりも上手だといわれたことがあったほど、
娘の言語のなかで英語がしめていた割合は1番であったはずでした。
まさかたったの5か月で英語がゼロになってしまうなんて!!
おそるべし、”10歳までの脳のメカニズム”。。。
私のこの時期の悩みと解決法 ④
娘が英語を忘れたという、私たち夫婦にとって、衝撃なできごとのあと、夫婦でこのもんだいを今後どうするか、話しあいました。
バランスを保った言語習得のかたちとは?
私たちの結論は、
- オーストラリアを生活拠点にすることから、娘が英語を落とすわけにはいかない
- 中国の生活のなかで、英語も使える環境をつくる
- そのうえで中国語、日本語も並行してのばす
このときに私たちが選んだ対処法は。。
インターナショナルの中国部に入学させる
アメリカンスクールでは英語にかたより過ぎるため、インターナショナルの中に現地の中国人が入る、中国部がある学校に決めました。それにより、英語のレッスンと中国語のレッスンの両方が受けられたのと、現地の子どもたちのクラスなので、休み時間、給食時間など、英語のレッスン時間以外はいきた中国語に毎日ふれることができたというわけです。
夫と私が初めて、娘の中国語の授業を見学させてもらった日、描いた絵の説明をするのに、娘は”これは。。。””これは。。”と中国語で言うのが精いっぱいでした。
まだ中国語がうまく話せないのに、お友だちの前で頑張っている姿をみて
感動したことを覚えています。
そんな感じの娘でしたが、気が付けば、夫とは中国語で話すかたちが出来上がりました。
その他におこなった対処法
- 週末に英語を話す友達との家族交流 (中国語、日本語も同様)
- 中国語での習い事(ピアノ、水泳)
- 日本への帰省(保育園の利用)
- 日本語絵本のよみきかせ (英語、中国語も同様)
- 日本語ドリル など
6歳過ぎから10歳まで
娘が6歳4か月で中国をはなれ、オーストラリアへもどってきました。
娘は日本でいうところの小学校1年生の2学期から、オーストラリアの学校にもどりました。
私のこの時期の悩みと解決法 ⑤
今度は失敗しないように
中国で娘が英語を5か月で忘れた事実があるので、こんどはそうならぬように、中国語と日本語をおとさないように、新たな言語習得のかたちを作りなおす必要がありました。
英語圏で英語以外の言語習得のかたちとは
私たち家族にとって、娘の中国語、日本語の維持がかだいです。
そして、それは娘が最低でも10歳になるまで、継続させるひつようがあります。
このときに私たちが選んだ対処法は。。
中国語の*イマージョン学校への転校
*イマージョン学校というのは、外国語を”教科”として勉強するのではなく、その外国語で算数や理科の授業をおこなう学校です。
その他におこなった対処法
- 毎週、放課後に日本人の友だちと公園であそばせる
- 中国語でピアノを習う
- 中国語のオンラインレッスン、教室等
- 日本への帰省、小学校への体験入学
- 中国語、日本語のテレビをみせる
まとめ
現在、娘は12歳になり、日本ですと中学校1年生です。
夫には中国語で、私には日本語で会話するスタンスは今も変わりません。
私たちのバイリンガル育児で一貫した対処法は
足りない言語をそのつどおぎなうかたちを作ること で軌道修正してきました。
お子さんの年齢によっては、私たちの例があてはまらない場合もあると思いますが、少しでも参考になったり、いま現在バイリンガル育児をされているかたのヒントになればとおもい、今回は10歳までの脳のメカニズムを指標として成功した私のバイリンガル育児をまとめてみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。